桜美かつし大体五年ぶりのTVシリーズ監督作は、弘前を舞台にした土着型エブリデイマジック淡々日常アニメ。
ふわーっと扱われる魔法の気軽さとスパイスが、青森の透明感のある風景とよくマッチしていて、心が落ち着くアニメでした。
俺この毒と引っ掛かりのなさ……嫌いじゃないぜ……。

原作未読でアニメだけで感想言うと『エブリデイマジック要素をぶっこみ、密度を下げたよつばと』という感じでして、特別なことが起きているのにそれをだらーっと受け流し、静かな日々が流れていく感じが末世感モリモリで良かったです。
桜美かつし作品の特徴である端正な画面作りが、良く言えばアクの少ない、悪く言えば平板な展開とがっちりマッチしていて、独特の雰囲気を出していた。
『空をとぶ女子高生』とか『自生するマンドラゴラ』とか、トンチキなことが起きてるんだけどあくまで日常に一側面として流しているミスマッチが、異物感ではなく快楽として受け取れるのは、なかなか凄い。

この心地よい雰囲気はやはり絵のパワーで、正直な話圧倒的な美術力で押し切る作品というわけではないのだけど、良い脱力と破綻寸前の緊張感が画面で同居していて、とても良い気持ちで見れる。
これで抜けすぎると『魔法』という異物をスパイスにしている理由がないわけで、『創作物を引っかかりなく、気持よく飲み込む』ためには様々なテクニックが行使されているのだなぁと、感心する思いでした。
手練手管を駆使していると視聴者に一見気づかせないことこそ、優れた技術の証明だと思う。

絵のパワーは『抜き』だけではなく、『入り』のシーンでも生きていて、淡々と進んできた所でクイッとお話が盛り上がるマンドラゴラ狩りのシーンは、うねうね動き続けるキモい植物で笑いを作る、良い見せ場でした。
あれが第1話のヒキであることで『盛り上がるとしても、だいたいこんくらいの温度ですよ』というサインを視聴者に出してもいて、全体的な心地良い雰囲気を壊さず起伏を作る、良いさじ加減の演出でした。
せっかく『魔法』というスパイスを使ってるわけだし、ああいうワンダー溢れるトンチキ場面は程よく見たいしね。

絵の力もあるんですが演技のパワーもなかなかのモンで、特に圭兄ちゃんの『アンタほんとに高校生?』と聞きたくなるような泰然自若っぷりは、作品全体のテイストを上手く整えていてグッド。
異常事態に脂っこいリアクションするアニメがあんま得意ではない自分としては、彼の『魔法は凄いが、ま、それはそれとしてやるべきコトやろう。飯作ったり荷解きしたり学校行ったりしよう』という日常優先主義は、見ていて気持ちがいい。
『スルーすべきではないことをスルーする』ことで、視聴者がツッコミ役としてお話に入り込む足場にもなるだろうしね……ミルホとかで見たテクニックだな。
あと妹ちゃんが元気な子供で可愛い、出番増えろ。


桜美かつしという人は作品からエグみと枝葉をバッサバッサ切り捨てて、よくも悪くも収まり良くし、持ち前の才能で淡麗な場面をしっかり作りこむ作家だと思います。
アレとかソレのような起伏が激しい作品だと『エグさ=味』という部分もあって、結果原作の大事な部分まで切除しちゃって大惨事、持ち前の雰囲気力ではカバーしきれないことになる。
しかしこの穏やかな作品と桜美かつしの作家性(エゴイズムって言い換えてもいいけど)の相性は、結構良いんじゃないかと思います。

特に脂っこいイベントが起こるでもなく、いや起きてるんだけど脂っこいものとして処理しない姿勢と、穏やかさの中にしっかりメッセージを埋め込み、かつそのサインを明確には意識させない画面の作り方は、相補いあういいコンビなのではないか。
日常重視の結果あんまりにも何も起きなくて作品が心停止しそうになったら、魔法で事件起こせば生き返るしな……『弘前+擬似家族+エブリデイマジック』は、結構勝てる方程式なんじゃないかと思い始めた。
まぁ原作未読なんで、とんでもない大切断が人知れず行われ、結果として打ち捨てられたサムシングが存在してんのかもしんねぇけど。

とまれ、どこにでもある静かな日常を大事にして、異常事態たる『魔法』もまた日常の一部として付き合っていく世界は、僕の好みに凄く合っていました。
日常と非日常、ドラマと非ドラマの危ういバランスを、素材選びの妙味と味付けの巧妙さ、端麗さでしっかりとっている、そんな第1話だったと思います。
今後も弘前の静かな世界の中で、じわりと人情味を味わいつつ、トンチキな出来事を適度にスルーしつつダラダラ流れていく日常を、じっくり楽しませてくれると最高です。
来週もまた、『女子高生がいて、魔法がある弘前』のセンス・オブ・ワンダーを体験させてくれるかと思うと、心が静かに踊ります。
そういう気持ちって、結構贅沢なことだなぁと思うわけです。